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バリュー投資と”常識”

 ウチダ先生このエントリを読んで、バリュー投資(もしくは株式投資)と”常識”についていろいろ考えてみました。(参考:内田樹の研究室:そんなの常識

 私のブログのエントリの上に、曜日ごとにベンジャミン・グレアムの言葉を引用して表示しています。その中で、

「結論的には、真の投資には安全域が不可欠だということである。そして真の安全域とは、数字や筋道の立った論証、または実際の経験に照らして証明可能なものでなくてはならない。」


という言葉があります。私はこれを、客観的に判断して現在の市場価格より本質的価値のほうが低いものに投資しなきゃダメですよ、ってことだと理解しています。要するに安く買って高く売るってことなんですが、グレアムの言う「数字や筋道の立った論証、または実際の経験に照らして証明可能なもの」という部分に多少引っ掛かりを感じています。

 グレアム時代の狭義の「バリュー投資」であれば、BS上の資産価値と時価総額を比較することで、ある程度客観的に価値と価格の乖離を計ることができるのかもしれませんが、そのような銘柄がほとんどなくなってしまった現代では、企業の収益や成長性を織り込んで何らかの方法(DCF法など)で本質的価値を算出して市場価格と比較する「モダン・バリュー投資」のほうがバリュー投資の主流になっているように思われます(これをバリュー投資と呼ぶかのかどうかの議論はとりあえず置いておきます)。

 で、ここで問題なのが、「企業の収益や成長性を織り込んで何らかの方法で本質価値を算出して市場価格と比較する」ということが、「数字や筋道の立った論証、または実際の経験に照らして証明可能なもの」なのかどうかという点です。この点については、私の中で暫定的な答えは出ていて、恐らく証明可能な企業の本質価値なんてものはないのだろうなと思っています。おおまかに見積もってこれくらいの価値があるといった程度の算定方法はあっても、その企業の本質的価値は最終的には市場や投資家によって相対的に変化していくものなんだろうと思います(この辺りの考え方は、ずんちゃかさんこのエントリから相当影響を受けています)。

 ここで冒頭で紹介したウチダ先生のエントリの内容の一部を引用してみます。

常識にはその正しさを支える客観的基盤が存在しない。
「エヴィデンス・ベーストの常識」というものは存在しない。
常識というのは外形的・数値的なエヴィデンスでは基礎づけられないけれど、個人の内心深いところで確信せらるるところの知見のことなのである。
~中略~
常識は「真理」を名乗ることができない。常識は「原理」にならない。常識は「汎通的妥当性」を要求できない。
この無数の「できない」が常識の頼もしさを担保している。


 ちょっと引用が長くなってしまいましたが、何が言いたいかというと、マーケットで起こる様々な事項について判断する場合(企業の本質的価値を見積もるということも含めて)、この”常識”という考え方が非常に大切なんじゃないかということです。グレアムの喩で言えば、我々が相手にしているミスター・マーケットはどんどん複雑になってきており、過去に生まれたどんな理論をもってしても、また、将来生まれるであろうどんな理論をもってしても、恐らく我々はミスター・マーケットをコントロールしたりその考え方を知ることは不可能であろうと考えています。

 とすれば、最終的に一投資家がミスター・マーケットに対処する唯一の方法は”常識”しかないのかもしれません。私にとって一番身近な「バリュー投資」においても、過去の統計において割安株のリターンが市場平均をアウトパフォームしているという事実があるとしても、将来的にこれが唯一絶対な投資法であるという保証はどこにもありません。そもそも、ある指標や理論で行う割安・割高という判断すら絶対ではないと考えると、最終的にバリュー投資家が拠り所とできるのは”常識”的な判断、これは「高すぎるだろ」、「これは安い!」といった感覚的な判断を積み重ねていくことだけなのかもしれません。

 もう一度ウチダ先生のブログを引用してみます。

私たちの人生にとってほんとうに重要な分岐点では、結婚相手の選択であれ、株券の売買であれ、ハイジャックされた飛行機の中でのふるまい方であれ、「どうしてよいかの一般解がない」状態で最適解をみつけることが私たちに要求される。


 我々がミスター・マーケットと付き合うとき一番大切なことは、完璧な理論や真理などではなく、実はごく普通の経験に基づいた常識的な判断なのではないかと考えています。
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[ 2008/09/25 22:55 ] 投資 | TB(0) | CM(10)

相対評価と絶対評価

まだ比較可能かなと思われるものに、同業他社との比較がありますよね。
しかし、「この企業の価値は〇〇億円だ。」と評価することは不可能だと思っています。(絶対評価を下すことは不可能だと思う。)

きちんと数値化できない以上は、「常識に頼る。」これに行き着きますよね。たぶん、そうなのだと思います。
[ 2008/09/27 00:28 ] [ 編集 ]

Itoさん、こんばんは。

> とすれば、最終的に一投資家がミスター・マーケットに対処する唯一の方法は”常識”しかないのかもしれません。

なるほど、僕もそう思います。
しかし、ちょっと意地悪なこと言うようですが、
一部の局面を除いたほとんどの場合、
「ごく普通の経験に基づいた常識的な判断」の総和がミスター・マーケットでもあるわけで。
どうしましょうかね(笑
[ 2008/09/27 03:23 ] [ 編集 ]

>のっぽさん
企業の価値という目に見えないものを論理的に数字に落とし込むというこが無理なんだと思ってます。でもって、ちょっと飛躍してたどり着いたのが”常識”です。多分、これでいいんじゃないかなって程度の結論ですが(笑。

>abitaさん
意地悪ぅ(笑。

常識の総和たるミスター・マーケットに対して常識で対応できるのかと言われると、

そう。常識というのは「常識じゃない」のである。
「常識じゃない」からこその常識なのである。
ややこしい話ですまない。

だから、「いや、なんか、よくわかんないけど、そんな気がするんですよね、僕としては」とふにゃふにゃ応接するのである。


です(笑。
[ 2008/09/27 12:56 ] [ 編集 ]

> 常識の総和たるミスター・マーケットに対して常識で対応できるのかと言われると、
>
> そう。常識というのは「常識じゃない」のである。
> 「常識じゃない」からこその常識なのである。
> ややこしい話ですまない。
>
> だから、「いや、なんか、よくわかんないけど、そんな気がするんですよね、僕としては」とふにゃふにゃ応接するのである。
>
> です(笑。

そうですよね。
(みんなが、ふにゃふにゃと考えた結果こそがミスターマーケットなのだとまでは言いません 笑)
で、ほとんどの局面じゃ非常識に振舞う。
で、ある局面じゃ常識に従った振る舞いをする。
なんて僕は思って相場と付き合っています。

で、今がどういった局面なのかは、常識と非常識のどちらで判断したらいいでしょうかね(笑
[ 2008/09/27 15:13 ] [ 編集 ]

常識

横から失礼します。

この件についてですが、「自分の常識」で判断するということでいいかな、と思います。

自分の常識が他の人の常識とどれくらい離れているか、ということがきっと問題になるだろうと思いますが、全く同じということはないと思うので、「自分で考えるところの常識」に従えばいいのかな、と思います。
[ 2008/09/27 16:37 ] [ 編集 ]

>のっぽさん
フォローありがとうございます。
私の見解は以下の通り、自分で振っておきながら困っております(笑。

>abitaさん

> そうですよね。
> (みんなが、ふにゃふにゃと考えた結果こそがミスターマーケットなのだとまでは言いません 笑)

はぐらかしたつもりでしたがダメでしたか(笑。正直言って、思うままにつらつらとエントリを書いたものの、マーケットや株式投資における常識ってどういうことなのかと言われると、非常にわかりにくいんですよね・・・。常識って言葉の定義からその内容まで皆それぞれ違うでしょうし。だからこの点はもう絶句して降参です(笑。


> で、ほとんどの局面じゃ非常識に振舞う。
> で、ある局面じゃ常識に従った振る舞いをする。
> なんて僕は思って相場と付き合っています。

私も非常識な振る舞いと常識的な振る舞いを行う局面が織り交ざって相場を形成していると思います。


> で、今がどういった局面なのかは、常識と非常識のどちらで判断したらいいでしょうかね(笑

今の局面がどうなのかといわれると、まだ常識的な判断をしている人のほうが少し多いくらいの相場が続いているんじゃないかと思ってます。投資経験が短いので、あくまで私の勝手な想像ですが、まだ総悲観のパニック状態じゃないんじゃないのかな、と。日経平均が10,000円を割って、私の運用資産が半分かそれ以下になって、私ももう株式投資は止めた!って思う頃くらいが、非常識な判断者が優勢な時期になるんじゃないかと、私はそう思っています。いや、ほんとよくわかんないんですけど、そんな感じです、多分。
[ 2008/09/27 23:15 ] [ 編集 ]

「常識」の定義

こんにちは。

Itoさんが引用されている内田さんの記事では、

>私はこの「明証を以ては基礎づけられないけれど、なんとなく確信せらるる知見」を「常識」と呼ぶことにしている。

と定義されています。

Itoさんが仰っているように

>常識って言葉の定義からその内容まで皆それぞれ違う

ので、このエントリでも、Itoさんが述べている「常識」について定義してみても良かったかもしれません。

個人的には、内田さんの定義に乗っかった場合、のっぽさんの仰るとおり
(常に)自分の常識に従う
が正解だと思います。周囲が感情に流されて非常識になっているときに、どれだけ冷静に常識を保っていられるか。
そこがポイントかなと思います。
[ 2008/09/28 14:23 ] [ 編集 ]

>空色さん
私の常識の定義は「よくわかんないけど、私がそう思うもの」という曖昧なものです。なので、個別の事項について、私の常識的意見を述べると、「なんじゃそれ?」って突っ込みが入るかもしれません(笑。

それは置いておいて、

> 周囲が感情に流されて非常識になっているときに、どれだけ冷静に常識を保っていられるか。

これはその通りでしょうね。私の常識的意見では、「よくわかんないけど皆がパニック(非常識)になってるときはチャンスなんだろうな、多分。」ですので、この常識が、実際に相場が非常識に支配されたときにも保たれていれば、上手くいくような気がしています。
[ 2008/09/28 22:19 ] [ 編集 ]

えぇと、この手の話はどうしたって、まとまりようがないんで、結局は、何年後かに各自自分の口座に聞いてみましょう!って結論に成らざるを得ないんですよね(笑)

で、蛇足ではありますが、僕の思いとしては、バリューアプローチだろうがなんであれ個人が個別株式を弄ることこそまさに「非常識」だろうと(笑)
内田センセの知見でも、おそらくそう判断なさるんじゃないかと、僕は考えているんですよね。
おまけするなら、グラハムやバフェットの常識でも同じ答えじゃなかろうかと。
おまけついでに、バフェットは、あるヘッジファンドの成績について、S&P500に負けるじゃろうなの方に100万ドル張ってます(笑)
http://money.cnn.com/2008/06/04/news/newsmakers/buffett_bet.fortune/index.htm?postversion=2008060908

しかーし、僕やItoさんは、非常識にも勝負することを選んでるのです、勝つ気マンマンで(笑)

さて、じゃどうしようかって、無い頭でのたうちまわって考えてみたんですね。
で、今のところ僕が出してみた答えは、
「ハイジャックされた飛行機の中」とかまさに非常識な時は、常識に従えと。
その他、多分ほとんどを占めているであろう平時の時は、非常識にイケと。
つまりコントラリアン
みたいな

と、こんなことを考えてコメントしてみた次第であります。

ということで、僕を含めたみなさまの口座に幸ありますように(笑)
[ 2008/09/29 01:29 ] [ 編集 ]

>abitaさん
うまく〆て頂き、ありがとうございます。
結局スレ主が収拾しきれないエントリになってしまいました(笑。

> しかーし、僕やItoさんは、非常識にも勝負することを選んでるのです、勝つ気マンマンで(笑)

確かに非常識ですね~。でも勝てる気がするんですよ、なんとなく。じゃないと、こんな恥さらしなブログまで書いて個別株イジってないですからねぇ(笑。

> 「ハイジャックされた飛行機の中」とかまさに非常識な時は、常識に従えと。
その他、多分ほとんどを占めているであろう平時の時は、非常識にイケと。
つまりコントラリアン
みたいな

コントラリアン

アタシの憧れ

みたいな

> ということで、僕を含めたみなさまの口座に幸ありますように(笑)

ということで、ミスター・マーケットに貸してるカネ(勝手にそう思ってる)、早く返して欲しいです(笑。
[ 2008/09/29 09:59 ] [ 編集 ]

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