『外国人投資家』と同時に購入した新書、『マネーロンダリング入門―国際金融詐欺からテロ資金まで』を読了。外国人投資家と並行して読んでました。
相変わらず橘玲氏の書く文章は面白いです。どの本もなぜか引き込まれるように読んでしまうので、そう感じる理由をいろいろ考えてみましたが途中で止めました。面白ければそれでよしということで。
『外国人投資家』と並行して読んだおかげで、この本に頻繁に登場するクレディ・スイスなどの海外の金融機関について予備知識を持って読み進められたので読みやすかったです。『外国人投資家』に書かれていた外国人投資家を装った日本人投資家についても、
「・・・こうした手法(注:海外の証券会社を経由して匿名で日本株式を売買)が人気を集めた結果、今では日本企業の大株主にわけのわからないカタカナ名のペーパーカンパニーが名前を連ねるようになった。これを経済紙誌は「外国人投資家」と呼ぶがその多くは日本人である」
ということで、その仕組みがよく理解できました。
この本を読み終わって感じたことがひとつ。今まで橘玲氏の著作全体の主たるテーマは「経済的自立の獲得」だと思っていたのですが、実は「主権国家の否定」が本当のテーマで、それを表現するための一手段として経済的な側面から文章を書いているのではなかろうか?などと勝手に想像しています。
- 関連記事
-
僕も前から読もうとしてましたが、結局買わずじまいでした。
>>実は「主権国家の否定」が本当のテーマ
これも同意です。
黄金の羽の拾い方でも強く感じました。
金融日記の藤沢数希さんも似たような感じですが、海外投資が好きな方でもワイルドインベスターズの安間さんはどっちかというと国粋的な立場で物事をおっしゃってますし、投資に強くなると経済的な部分の意見は一緒になるのに対して政治は異なるのが面白いなと思います。
(そういえば私はポリティカルコンパスは市場原理主義の保守主義者になりました。)
いろいろ書きたくなりますが、このへんで(^^;)
おはようございます。
> 投資に強くなると経済的な部分の意見は一緒になるのに対して政治は異なるのが面白いなと思います。
これ、確かに面白い傾向ですね。私は政治的には左右どっちでもないと思ってます。極端な国粋主義も主権国家の否定も最終的にろくな結果を生まないと思ってますので・・・。
ここらへんの議論は政治的な立ち位置によって完全に意見が分かれそうなので、話が長くなりそうですね(^^;)。
橘玲氏には翻訳書ですが、「不道徳教育」というリバタリアンな著作もありますからね。
主権国家の否定は持論かも。(パーマネントトラベラーな主張も同根かも)
>MAT.Nさん
はじめまして。コメントありがとうございます。水瀬さんのブログで時々お見かけしておりました。
私も「不道徳教育」を読んでみたいと思っているのですがまだ購入もしていません。橘玲氏の文章はどこか突き放したようなところがあるので(そういう押し付けがましい感じがないところが好きなんですが)、本意はどうなのかよく分かりませんが、他人の支配を受けるのは大嫌いそうな感じがします。
はじめまして。コンキチと申します。
「主権国家の否定」ですか。なるほど。そういう見方もあるのですね。
私も橘氏関連の著作は好きでけっこう読んでいますが、コンキチ的には、人が望んでも決して手に入れることのできない「一人で生きて行く為の力」とか「束縛されない自由」を得ようともがく姿を綴っているように感じられました。
リバタリアン的には国家をも否定するのかもしれませんが、構成員が多かれ少なかれ、組織というものには何らかの統制機構が必要になってくると思います。思想が収斂しずぎると全体主義に陥る気がしないでもないですが.....
個人的には、橘氏の主張は、「主権国家の否定」というよりも「極限まで小さな政府」を志向しているように思います。堅固な警察機構や自衛組織(軍隊)を構築するのには国家権力を利用した方が効率的と思いますので。また、現実社会を鑑みれば、不良国家から自国を守るためには、なんらかの物理的力が必要と思います。
コンキチは「経済的独立」は「一人で生きて行く為の力」や「束縛されない自由」に近づくための一手段であると考えています(経済的に独立すれば、高圧的な第3者からの圧力をかなりの程度シャットアウトできる)。必ずしも国家の存在と相反するものではないと思います。まあ、現実は国家からの強制的な制約は少なくないと思いますが.....
>コンキチさん
はじめまして。
私が気になったのはまさにこの部分です。
> 個人的には、橘氏の主張は、「主権国家の否定」というよりも「極限まで小さな政府」を志向しているように思います。堅固な警察機構や自衛組織(軍隊)を構築するのには国家権力を利用した方が効率的と思いますので。また、現実社会を鑑みれば、不良国家から自国を守るためには、なんらかの物理的力が必要と思います。
例えば、表面的には橘玲氏と同じようなテーマで本を出されている(『ホントは教えたくない資産運用のカラクリ』シリーズの)安間伸氏などは、金持ちが自分の資産を守るため(例えば生存権や財産権の保護など)のコストとして国家に対してコストを負担することに肯定的(というか積極的ですかね)なのに対して、橘玲氏の文章を読んでいると、このコストさえいらんお世話だ(つまり自信の生存権や財産権すら自分で面倒を見る)と考えているように思えるのです。それが、私が「主権国家の否定」と感じた理由です。
しかし、殆どの一般市民にとっては税金や社会保険等の国家に対するコストを支払って国家からある程度の保護を受ける方が合理的だと思っています。それを自覚しているからこそ橘玲氏の著作に惹かれるのかもしれません。
こんにちは。橘玲本はいろいろ読んでますので、私見を少々。
橘玲氏の場合、小説などで合法的なマネーロンダリングや節税のテクニックなどを追及していたりして、知的好奇心をくすぐる点が面白いかと思います。
で、その元となる考え方として、PT的な考え方と少し似ていて、国籍、居住国、投資国、納税国などを自由に選択すればいいという考え方なのかと思います。
自分が望む行政サービスが得られる国を居住国や納税国とすればいいという感じでしょうか。
そこには、民族などという概念は入っていません。
かなりドライに現実をとらえていて、合理的な生き方を突き詰めるとどうなるかという一つのサンプルを示しているようにも思えます。
>Gabbianoさん
コメントありがとうございます。
Gabbianoさんの
> 国籍、居住国、投資国、納税国などを自由に選択すればいいという考え方なのかと思います。
というご意見が一番適当かもしれませんね。「主権国家の否定」というのは”日本”を意識しすぎた考え方かもしれません。
でも、その考え方が合理的かどうかはさておき、「マネーロンダリング」や「黄金の羽の拾い方」などを読むと、行間に国家自体に対する拒否反応(嫌悪感?)みないなものを感じるんですね・・・。私の主観も入ってるのかもしれません。
橘玲氏は、AICとの関係を抜きに語れないと思います。
AICは、1990年代後半の日本版金融ビックバン(もう死語ですね)により、外為法改正で個人の海外口座開設が解禁された頃に、「海外投資を楽しむ会」として活動を始めています。
たしか橘玲氏は初期の中心メンバーの一人です。
ですので、日本を捨てて海外を志向するという考えは根底にあるのかもしれません。
このままではヤバイと思われるときに、見捨てるのか、なんとかしようとするのか、ひとそれぞれということなのでしょうかね。これに関してはノーコメントです。
すいません、追加です。
橘玲氏の場合、一般的な日本人が持っているような日本という国に対するバイアスが無いのかもしれません。ニュートラルに近いというか。だから、とてもドライな印象を受けます。
安間さんは日本大好きな印象ですよね。
ぶっちゃけた話、ネット上では早期リタイアして南国で生活したいと思っている人は多いみたいですから、日本で仕事をしたり生活をすることが合理的でないと思っている人は多いように思います。
今現在いる世界だけで合理的なのかどうかを考えるより、もっと前提のところを考えるきっかけにはなるのではないかと思います。
富裕層やリタイア層などが海外に拠点を移したりすることも、投票活動の一種だと思っています。
>Gabbianoさん
早期リタイヤとその後の海外生活については、団塊の世代ではすでに現実になりつつあるような感じもします。「日本に対する好き嫌い」は別として、個人の経済合理的な行動の結果として橘玲氏が指摘しているような状況になりつつあるんでしょうか。
『マネーロンダリング入門』の最終節、”多国籍化する個人”に次のような記述があります。
「~とすれば、たまたま自分が生まれたというだけの理由で特定の国に生涯、税金を払い続けることに合理的理由は無い。それぞれの人生設計において、自分が税金を払う国を自由に決めていいのだ。
-中略-経済のグローバル化のなかでマネーが国境を越えて移動し、次いで企業が多国籍化した。そしていま、個人の国籍離脱が始まっている。
-中略-個人の「多国籍化」「無国籍化」こそが、グローバル資本主義の終着点なのだ。
本書では、これを道徳的な善悪の問題として議論しない。」「個人の「多国籍化」「無国籍化」こそが、グローバル資本主義の終着点なのだ。」と言いつつ「善悪の問題として議論しない。」ってところが最終的な橘玲氏の立ち位置なんでしょうね。
で、私自身はどうかと考えてみると、これはノーコメントにしておいたほうが良さそうです。話が長くなりそうなので(笑。
橘氏の翻訳本である「不道徳教育」では、国家から強制されるもの全てを拒否する印象が強いとは思いましたが、氏のオリジナルの著作で表現されている日本に対する嫌悪感というものは、主に税制や社会保険制度、付和雷同しがちで情緒的な国民性・社会性(というか洗脳されやすいだまされやすい気質)に向けられていると感じています(といっても、人間だれしもが何らかの概念に少なからず洗脳されていると思いますが)。
また、安間氏が日本に積極的に払っても良いと思っているコストは、税金などではなく、日本国民の脱前後民主主義に対するコストなのだと思っています(氏は日本大好きそうですから)。
口はばったいのですが、橘、安間両氏の著作は、はっきり言って自分の人生においてパラダイムシフト的なものでした。そういった意味で、ItoさんとGabbianoさんの議論はコンキチにとって大変興味深く拝聴できて楽しかったです。
>コンキチさん
どうも私は論理的な議論が苦手で直感的に物事を決めつけるようなところがあるように思うので、コンキチさんに対してもGabbianoさんに対しても、コメントの返信がちゃんと議論になっていたか心配しています・・・。
逆に、お二方(そしてかまぽんさん、MAT.Nさん)のコメントのおかげで直感だけで捉えていたことを多少整理できたような気がしています。つたないエントリに丁寧なコメントをいただき、こちらこそ感謝しております。
コメントの投稿