ベッドサイドに『証券分析』と付箋を置いて、寝る前に少しずつ読んでます。現在276/955ページ。ここまでで何ヶ所か付箋を貼った箇所から”これは”という文章をメモっておきます。
まえがき
例えば、その企業の将来の見通しといった問題はそれなりに重要ではあるが、本書で取り扱うテーマからは離れるためほとんど取り上げなかった。
第1章 証券分析の役割と本質的価値
分析とは、入手可能な事実を詳細に検討し、確立された原則と有効な論理に従ってそこからある種の結論を引き出すことと定義される。~中略~しかし、証券分野でそうした分析を適用しようとすれば、投資というものが本来的には厳密な科学ではないことによる多くの困難に直面する。これと同じことは法律や医学についても当てはまるが、その理由はこれらの分野でも技能(技術)や運がその成否を分ける大きな条件であるからだ。とはいっても、法律や医学の分野でも分析は有効かつ不可欠のものであり、これと同じことは投資、さらにはおそらく投機の世界についても言えるだろう。
(本質的価値と価格)しかし、証券の本質的価値がある面ではとらえどころのない概念であることもまた事実である。一般に証券の本質的価値とは、恣意的な価格操作や市場の心理的な雰囲気などで形成された価格水準とは別に、その発行企業の資産、収益、配当、将来の業績見通しなどの事実によって裏付けられた本来的な価値であると考えられる。とはいえ、その証券の本質的価値を市場価値のように明確に決定されるものと考えるのも大きな間違いである。
(本質的価値の意味)重要なことは、証券分析の目的は特定証券の本質的価値を正確に求めることではないという点をよく認識することである。証券分析にできることは、①その証券の時価はその価値が保証され、またはその証券を購入することが正当化される水準として妥当なものなのか、②その証券の本来的な価値は時価をかなり上回っている、または下回っている-などについてヒントを示すことである。こうした目的を果たすには、本来的価値のおおざっぱな数字を求めるだけで十分である。
(本質的価値と市場価値)マーケットとはむしろ、無数の個人が理性と感情に基づいて選択した結果を集計する「票数計算機」のようなものである。
第2章 証券分析の数量的要因と質的要因
(企業と投資条件)
①初心者向けの原則-「二流企業の証券に絶対におカネを投じてはならない」
②プロの原則-「すべての証券はある値段では安いかもしれないが、別の値段になれば高くもなる」
(経営能力)株式市場ではその企業の経営能力というものを2回評価する傾向がある。ある企業の株価とはその優れた経営能力が生み出した好業績を反映したものだが、株式市場ではそれに加えて「優れた経営能力」をもうひとつの好材料として織り込んでしまう。
(収益トレンド)トレンドを重視しすぎると過大評価や過小評価といった間違いを犯すことになる~中略~したがって一見数学的に見える評価法も実際には心理的かつ恣意的な要因に基づいているのである。以上の理由から、トレンドがどれほど数量的要因として強調されようとも、現実には「質的要因」であると考えるべきである。
第4章 投資と投機
(提案する投資の定義)「投資とは詳細な分析に基づいて、元本の安全性と満足すべきリターン(投資収益)を確保する行為である。この原則を満たさない行為を投機と呼ぶ」
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面白いです。
Itoさんの上記のまとめを見ると賢明なる投資家のグレアムのイメージからちょっと違ってきますね。
実は(本音は)あまり読む価値のない古典だと思っていたのですが、全部むむむ・・・。という感じです。
ぜひ続けてください。
実は、私もあまり面白い内容ではないだろうなぁと思ってました。でも読み始めると、(実例を除くと)これが本当に70年前に書かれた本か?と思うような記述が多いです。
この本が1934年に(大暴落直後に)書かれたということも、日本語訳された1972年版の『賢明なる投資家』とは違ったイメージを持つ原因かもしれません。「危険がいっぱいの「下手な投資」よりは「賢明な投機」のほうがよほどましである。」なんて文章も出てくるくらいですから・・・。
今のところ、債券や優先株の分析の部分を読んでいるのですが、私にとってはあまり馴染みのない証券に関する記述なので
退屈です。毎日数ページ読んでは眠くなるといった感じで、なかなか読み進めません(^^;。
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