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『「明治」という国家』と『「昭和」という国家』

年末年始は実家へ帰る車中などで、この3冊を読んでました。



「明治」と「昭和」を語る司馬遼太郎の語り口がかなり違います。「明治」を語る司馬遼太郎はどこか楽しそうですが、「昭和」を語る司馬遼太郎は苦しげです。

「昭和というものを書く気もおこりません。書いたらですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね。昭和という時代は、書いていて実に精神衛生に悪いところを持っています。どなたか若い人が昭和を解剖してくれたらいいのであって、そのきっかけとして話しているようなものです。」


司馬遼太郎は晩年、”ノモンハン事件”を題材にした小説を書くために資料を集めていたそうですが、おそらく書くのは無理だったのでしょうね。本文中でも、”『坂の上の雲』まで来て、私の小説はもう終わった”と受け取れるような話がありました。『「昭和」という国家』の元となった”雑談・『昭和』への道”という番組を制作した栗田氏のあとがきによれば、この番組で原稿もないまま昭和について語った司馬遼太郎は、「”昭和”ばかりしゃべっていたらハラワタが腐るよ」と話していたそうです。

この番組の企画を受け入れた司馬遼太郎が、番組の打ち合わせで語ったという次の言葉が心に残りました。

「若い人がマネーゲームに勤しむ。働いて、つまらない収入を得ることの大切さを誰も教えない。これでは社会は壊れてしまう。」

「繁栄は続きません。産業の神様は必ずよそへ移ります。その時、落ち着いて老いさびれたクニに、日本をどう作って行けるのか・・・土俗の日本人として、真剣にそれを考えないと。」

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[ 2006/01/03 22:43 ] 読書・映画・その他 | TB(0) | CM(0)

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